デヴィッド・ボウイのこと

デヴィッド・ボウイ追悼雑誌

デヴィッド・ボウイが亡くなって1ヶ月が経った。俺はあの日から毎日”Blackstar”を聴き、過去のアルバムも繰り返し聴いている。メディアの前に出なくなって久しいから、ひょっとするとまだ生きていて、誕生日である来年の1月8日には「実は生きてるよーん、てへぺろ」なんて出てくるんじゃないかと思ったりもする。いや、亡くなったのは確かなんだろうけど、やっぱり受け入れたくないって気持ちもある。

1983年の”Let’s Dance”で初めて聴いて、80年代の終わりごろにはRCA時代のアルバムが順次再発されていく中、1990年の東京ドーム公演を観に行った。その前にやっていたバンド、ティン・マシーンのアルバムも買ったけど「声がジジイだ」という印象が強くてほとんど聴かずに手放してしまった。その頃の雑誌でのボウイの書かれ方は「才能が枯渇した」だの「終わった」だのと書かれていたし、俺たちも実際そう思っていたに違いない。1993年の”Black Tie White Noise”では”Let’s Dance”以来にナイル・ロジャースをプロデュースに迎えていたが、それですら「今さらナイル・ロジャース?(この頃はナイル・ロジャースだって時代遅れだった。後にダフト・パンクのアルバムに参加してCHICまで復活させるなんて思いもしなかったよね)」なんて言われるし、その後の”1:Outside”だって「今度はイーノかよ」みたいな言われ方をされていて、過去の栄光にすがっているに思われていたと記憶している。もうかつてのような時代を先取りしたような作品を望むのは無理なんだろうなんて思っていた。”Earthling”は時流に合わせてドラムンベースを取り入れたりして、80年代以降ではベストの1枚だと思っている。

それ以降もアルバムを聴いてはいたけど、以前ほど熱心なリスナーではなく、あくまでもボウイの活動を「確認」しているというぐらいの距離感で接していたが、さすがに10年も沈黙していると気になりはじめてきて再び聴きまくることが多くなった。そして”The Next Day”はもう2度と新しいアルバムは聴けないと思っていただけに狂喜したものだった。そして”Blackstar”は再び「確認」としてチェックしたつもりが、前作を遥かに上回る、全キャリアを通しても傑作と言えるアルバムで、60代にしてそんなアルバムを作るボウイはやっぱり凄いと思った。1990年頃の自分や雑誌のライター達に「デヴィッド・ボウイは2016年に最高傑作と言える1枚を発表するぞ」と言ってやりたい気分だ。絶対に信じないだろうけど。

ボウイの死後、いろんなミュージシャンが追悼コメントを発表している。多くは「インスピレーションの源だ」的なものに集約される気がするが、それが音楽のことだけでなく、ファッションやビジュアル、佇まいとか雰囲気とか、ボウイの与えた影響の幅広さを改めて確認させられた。

彼の創りだす、新しい音楽がもう聴けないのかと思うととても悲しい。ありきたりな言い方だけど、デヴィッド・ボウイこそ唯一無二の存在で、彼のようなアーチストは今後二度と出てこないだろう。そんな彼と同じ時代を生きることができたことに感謝したい。

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