当時のCASHBOXに見るマイケル・ジャクソン『スリラー』の凄さ

CASHBOX MAGAZINE 2009-06-29
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10代の頃、「FMステーション」という雑誌を買っていました。FMラジオの番組をチェックして、欲しい曲があれば録音しているという毎日を過ごしていた同年代の人には懐かしい雑誌かもしれません。

そんなFMステーションには、アメリカの音楽誌「キャッシュボックス」のシングル、アルバムチャートが載っていました。俺はなぜかFMステーションを処分するときに、このキャッシュボックスの部分だけはスクラップしておいたので、今でも持っています。今回は当時のキャッシュボックスのアルバムチャートから、マイケル・ジャクソンの『スリラー』が如何に凄いアルバムだったかを見てみましょう。

1982年12月25日付
キャッシュボックス 1982年12月25日

15位に初登場しています。この頃すでに第1弾シングルとしてポール・マッカートニーとのデュエット”The Girl is Mine”が3位にいました(結局3位止まり)。ちなみに、今でこそアメリカでも(ビルボードだけど)アルバムの初登場1位なんてのはちょくちょくありますが、この頃は初登場で1位なんてまずありえませんでした。ところで他のメンツが凄い!レッド・ツェッペリンの『コーダ(最終楽章)』が同じ時期に出ていたんですね。

1983年2月12日付
キャッシュボックス 1983年2月12日
第2弾シングル “Billie Jean”がジワジワとチャートを上ってきて(9位)、アルバムも2位にまで上がってきました。

1983年2月26日付
キャッシュボックス 1983年2月26日
2月26日、発売10週目にして1位となりました。”Billie Jean”はこの週に4位(3/12付で1位になっています)。そして”Beat It”が早くも第3弾シングルとして86位に入ってきました。因みに2位のアルバムはメン・アット・ワークの1stアルバムで、このトップ2はその後9週間続きます。

1983年5月21日付
キャッシュボックス 1983年5月21日
13週連続1位。余談ですが、2位はまたまたメン・アット・ワーク。『カーゴ』はセカンド・アルバムですが、1stアルバムもまだ8位に残っています。この当時の人気の凄さを改めて思い出しました。80年代を聴くときには避けては通れない存在ですね。

この頃はダンス・ブームだったのでしょうか、映画「フラッシュダンス」のサウンドトラックが急上昇してきています。この翌週に、マイケルは第4弾シングル “Wanna Be Startin’ Somethin'” をリリースします(最高6位)。

1983年7月30日付
キャッシュボックス 1983年7月30日
21週連続1位だった『スリラー』を蹴落としたのはポリスの『シンクロニシティ』。当時はポリスのアルバムの方が好きだったのでざまぁと思いました。そしてこの週から12週間にわたって、上位4枚の順位は変わらず。

1.シンクロニシティ
2.スリラー
3.フラッシュダンス
4.炎のターゲット(デフ・レパード)

いつまで続くんだろうと当時思ったものです。マイケルはシングル第4弾として”Human Nature”をシングル・カット(2週目45位)。

1983年12月3日付
キャッシュボックス 1983年12月3日
リリースから1年、ついに『スリラー』も力尽きたかって感じです。第6弾シングル”P.Y.T.”は中ヒットという感じでした。一方では、ポール・マッカートニーとのデュエット第2弾となる”Say Say Say”がヒットしていました(これはポールのアルバム『パイプス・オブ・ピース』に収録)。

ところで1位のライオネル・リッチーは俺は大嫌いでした。若い人に説明するなら、ニコール・リッチーの親父です。

1984年1月14日付
キャッシュボックス 1984年1月14日
再び1位に返り咲きます。当時はそんなことってあるの?と驚いたのと、ライオネル・リッチーを蹴落としたことに喜んでいたことを思い出します。

1984年3月10日付
キャッシュボックス 1984年3月10日
この頃、第7弾のシングル・カットとして”Thriller”が最高4位まで上がっています。そう、あの15分弱に及ぶビデオが登場したのです。PV界の大事件でした。2位のヴァン・ヘイレンの『1984』には、現在キムタクのドラマのオープニング曲「ジャンプ」が収録されています。

1984年6月2日付
キャッシュボックス 1984年6月2日
1位に返り咲いてから16週間その座をキープした『スリラー』もいよいよ力尽きます。4/28付のチャートで『フットルース』のサントラにその座を譲り、あろうことか、ライオネル・リッチーが再び勢力をつけています。そしてゆっくりとアルバム・チャートを下がっていくことに。

1984年12月22日付
キャッシュボックス 1984年12月22日
以降の『スリラー』は5位→7位→8位→9位→・・・と徐々にチャートを下がり、発売から2年を過ぎた12月22日付のチャートでは79位にいます。しかし「79」という数字が赤いことにお気づきでしょうが、またジワリと微妙に上がっています。10月頃には90位代にいました。きっとクリスマス時期だったのでまたちょっとだけ売れたのでしょう。

このときのアルバム1位はプリンス&ザ・レヴォリューション『パープル・レイン』を蹴落としたばかりのマドンナ『ライク・ア・ヴァージン』です。

1985年2月25日付
キャッシュボックス 1985年2月23日
これがアルバム・チャートのトップ100位内で見つけられた『スリラー』の最後の順位です。実に2年以上、114週間もチャートインしていたわけです。100週以上もチャートに残るというのは特に珍しいわけではありません。そんなアルバムいくらでもあります。
(大嫌いと書いたライオネル・リッチーのアルバムも100位以内に119週もいたし・・)

ただ、『スリラー』はチャート・インしていた半分以上の期間を上位にいたんですよね。そして最終的にはアメリカだけでなく、全世界で1億4千万枚も売れたのです。なぜこんなにもヒットしたのかを考えると、やはり一連のプロモーション・ビデオにあると思います。当時のPVはまだまだ発展途上期で、マイケルのようにダンスを大々的に導入したビデオってまだ無かったと記憶しています。

もちろん「スリラー」も凄かったけど、「今夜はビート・イット」のPVの方が個人的には強烈で、テレビ埼玉やTVKで放送していたミュージック・トマトという番組で何度も何度も見た記憶があるし、何度でも見たいと思っていたぐらいです。

マイケル・ジャクソンが『スリラー』を作っていなければ、PVのあり方はまだまだしょぼいものだったかもしれないし、それをアルバムセールスに結びつけた戦略は後々のレコード業界に大きな影響を与えたことは間違いないですね。改めてマイケルの功績に敬意を表したいと思います。

Michael Jackson / Thriller
Michael Jackson / Thriller

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