タイトルが「私」でも本文が「俺」な理由

頭脳警察セカンド

頭脳警察 / 頭脳警察セカンド

俺は自分のことをだいたいの場面において「俺」と言う。
日常でもそうだし、ツイッターやFacebookの書き方もそう。ごく稀に例外はあるけど。
でもブログの記事を書くときにつけるタイトル、そこでつかうのは「私」という単語。
軽く検索してみても結構ある。
なぜそうするのか?特に深い理由はない。まあ「私」とタイトルに付けたほうが入りとしていいかなと思うぐらいw
「俺がアイドルグループを嫌う理由3つ」と書くより「私がアイドルグループを嫌う理由3つ」と言ったほうが
入りやすい感じがするし、なんとなく冷静にも思えないかな?w

と言ってるけど、こうしているのはある曲の影響なんだ。

写真は頭脳警察のセカンド・アルバムなんだけど、ここに収録されている「それでも私は」という曲。
この曲はタイトルこそ「私」だけど、歌では「俺」なんだよね。
俺はこのアルバムを19歳の時に聴いているんだけど、もうこの「私」と「俺」の使い方だけですげえと思った。
表現としてものすごくかっこいいと感じたんだ。
だから真似している、ただそれだけ。
20代前半はインターネットなんて無かったから特に文章みたいのは書いていないけど、
それでもこの曲を聴いた19歳の頃からずっと「私」と「俺」はこう使い分けようって思っていた。

ところでこの『頭脳警察セカンド』、19歳の時はもちろん廃盤だったんだけど、
ディスク・ユニオンで限定プレスして再発したのを購入した。
あ、いま書いていて思い出したけど、19歳の時は当時唯一手に入った『頭脳警察ベスト』が最初だ。
『頭脳警察セカンド』はたぶん20歳の時だ。
「銃をとれ」「コミック雑誌なんかいらない」「さようなら世界夫人よ」など素晴らしい曲が多いね。

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