オリジナル・ラブを聴いて来年で20年!(その4)

Original Love albums

さて、2000年代のオリジナル・ラブですね。
俺にとって2000年代中ごろまでは一時「離脱」気味であった。それについて書こうと思う。
『ビッグクランチ』の後、どういうアルバムを出すのかなって思っていたのだけど、
その反動とも言える『ムーンストーン』は傑作だと思った。
でも、その後だんだんと、俺にとっては雲行きが怪しくなっていったんだよね。
何がダメだったかって、アルバムではしゃがれた声で歌う曲がいくつか出てきて、
あ、俺の好きな田島のボイスじゃないって思ったのです。

そして、いま振り返ると田島自身も迷っていたのか、なぜか昭和歌謡のカバーをやるようになった。
あれは俺にはきつかった、いつぞやのライヴで1曲目が「東京ブギウギ」で、
なぜあんな良いメロディを書くのにカバー、しかも歌謡曲だなんてって思ったものです。
その極めつけが『街男街女』というアルバム。
そんな昭和歌謡の影響ウケまくりな1曲目の「築地オーライ」を聴いて拒絶反応。
どうしてオリジナル・ラブがこういう音楽をやる必要があるのか、俺には分からなかった。

当時、俺はいろいろなインディーズバンドやアマチュアバンドを見る機会が多かったのだが、
彼らの中にも昭和歌謡の要素を自分達の音楽に取り入れたりしていて、
まあなんていうか、ブームだったのは覚えている。でも田島がわざわざやることじゃないと。
なので『街男街女』のツアーは行かなかった。

後の『東京 飛行』を出した後の渋谷陽一とのインタビューを読んで分かったのは、
田島が同い年ぐらいのミュージシャンとライヴをやったときに、みんなが自分が育ったときの
歌謡曲やアイドルの曲について詳しくて、自分にはそういうのが無いと感じたとかなんとか。
それで自分の音楽にも取り入れたほうがいいのではないかとかって考えていたようだ。
渋谷陽一に「そんなことすることねえよ」って言われてて、俺も全く同感だった。
(これの出典となるサイトを誰か覚えていないだろうか?)
ありました、これです → http://www.allnightnippon.com/realbeat/index.cgi?go=top&line=40

そう、田島貴男にはパンク、ニューウェイヴから、海外のポップスを自分流に消化して
上質な音楽を創っているんだから、今さら後追いで歌謡曲を追いかける必要なんてないんだよね。
この時ばかりは後ろ向きさを感じたわけだ。
だからライヴにも行かなかったし、しばらく離れた。

さて、ファンの人たちなら気づいているかもしれない、上の写真。
1枚足りませんよね、『キングスロード』が。
俺は未だに聴いていません、なぜならカバーアルバムなんて求めていないので。
先ほども書きましたが、俺は田島貴男が作る歌詞とメロディを聴きたいのです。
いくら俺も好きな曲をカバーしているからって、それはないだろうと。

ムーンストーン (写真左上)
『ビッグクランチ』の後のアルバムだからすごく期待したんだけど、
これはいい意味で裏切られた。『風の歌を聴け』と『Rainbow Race』の流れと同じに受け取れる。
「アダルト・オンリー」は今も好きな曲。あとは松本隆作詞の「守護天使」も良い。

踊る太陽 (写真右上)
え、なに、このしゃがれ声!?って思ったのが「ふられた気持ち」。
ジャケットの昭和っぽさとタイトル文字が俺には苦手。
「のすたるじあ」とか、NHKの旅番組の曲でも手がけたいのかと思っていたよw
『L』から共同制作してきたL?K?Oへ捧げたと思われる「相棒」が涙を誘うのは俺だけか?
「美貌の罠」も好き。

街男街女 (写真左下)
出た当時は俺にとっては問題作。
最近になってようやく良いと思えるようになってきた。
本文にも書いたけど「築地オーライ」がまず苦手だし、昭和っぽさを思わせる他の曲名とかもちょっと・・・。
極めつけは「Yen」だろう。歌うテーマに困ったのかと思うぐらい生活臭漂うこの曲は、
オリジナル・ラブでやるような内容じゃないだろうって思った。
これらの曲のおかげで「夜の宙返り」とか「鍵、イリュージョン」といった素晴らしい曲に気づくのが遅かったのは事実。

東京飛行 (写真右下)
グレーのジャケットの如く、いぶし銀的な「ジェンダー」で幕を開ける。
当時はそれでも「今さらこんな音楽を」って言う人が数人いたけど、その後のライヴなどを
見ていれば正解だろうって思うけどね。「遊びたがり」が最高だな。

コメント

  1. miyuki hasegawa より:


    オリジナル・ラブのインディーズ時代をⅠ期とするとⅤ期になりますか。日本語の歌詞を大事にと言うか意識していた時代なのかと感じました。当時の音楽誌を見返すと、東映映画、岡本太郎さん、演歌・歌謡曲の作詞家などの影響を受けたようですね。Ⅳ期のビッククランチの反動なのかとも。当時、もしバンドだったらビッククランチで解散してたかもと。ムーンストーンでリセットされて、踊る太陽は2回目のメジャーデビューだそうです。ビッククランチまでは様々な洋楽の影響を昇華させて、サウンド重視で頂点まで行ってしまった感じがしました。それがリセットされてⅤ期に。分かりやすい流れとも思います。私は踊る太陽は好きなアルバムです。2、5、7、8、10大好きです。
    街男街女は確かに違和感?あまり好きではありません。キングスロードは好きです。この頃は、日
    本のミュージシャンはもっとカバーを唄うべきと発言してました。東京飛行ができるまでのおまけアルバムと思ってました。でも田島さんが唄うとカバーじゃなく、自分の曲みたいですよ。
    振り返ると色々と変化・進化してきた音楽、聴き続けて行くんだろうと思います。

  2. pocari より:


    当時を思い出しながら非常に楽しく読んでます。
    この当時のファンのヤキモキ感は凄かったですね。すごく悩みながらライブに行ってました。(笑)

    “『東京 飛行』を出した後の渋谷陽一とのインタビュー”についてですが、おそらくHEIWA REAL BEAT2006/12/16放送分です。が、web上にあった文章は既になくなってしまった模様。一部を引用した記事が以下です。

    >『東京 飛行』を語る(3)~遊びたがり
    http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20061223/OL
    >『東京 飛行』を語る(番外編)~bridgeインタビュー
    http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20061227/OL

    この頃の田島貴男が、ファンにどう聴かれているのかに完全に無頓着だったことがよく分かる良いインタビューでした。bridgeの鈴木あかね氏も含め、外部の人の方がオリジナルラブが何なのかということをよく分かり、良く表現できているところが、当時のオリジナルラブの最大の弱点でしたね。最近はツイッターもあり、聴いている側との感覚のズレは減ったように思います。

    Yenについてはまさに同感で、自分自身、以下の記事で、“自分に不足する生活感を手に入れようとした田島貴男が、「生活感テーマパーク」を作ってしまったのが、『街男 街女』”と評していますが、我ながら的確過ぎる指摘と感じています。(笑)
    >『東京 飛行』を語る(番外編)~『東京コンサート』VS『街男 街女』
    http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20061226/tyo

  3. hiroumi より:


    miyuki hasegawaさん
    当時の田島の迷いっぷりがよく分かるのが『踊る太陽』と
    『街男街女』あたりかなって、今でもこの2枚は思ってしまいます。
    『キングスロード』はきっと聴けば同じように思うかも知れないのですけど、
    まだその気になれなくて・・・w

    pocariさん
    リンク先の記事読みました!
    「自分が面白いと思ったものを、かなり早いタイミングで音楽に取り入れる癖がありすぎる。」
    という部分、すごくよく分かります。『イレブン・グラフィティ』なんかもそうでしたねw
    『白熱』は5年間で蓄積してきたライヴの成果なんかもあったから、
    そのまま収録していたらこれまた駄作になっていたかもしれない「ディランとブレンダ」が
    「カミングスーン」って名曲に生まれ変わったと思うし、ちゃんと消化されていますよね。