急に思い出したようにベン・フォールズ・ファイヴ(以下BF5)を聴いた。今から10年以上前に、彼らに夢中になった。
1998年のある日、Wowowで放送したフジロック98。その中で流れた「金返せ」という曲は衝撃的だった。ええっ、日本語で歌ってるよ!という驚きのあとに笑いが出てしまったのだ。
そしてベン・フォールズという男のピアノをぞんざいに扱うパフォーマンスとかも。確かその翌日ぐらいには件の曲が入っている “Whatever and Ever Amen”というアルバムを買いに行った。
それから俺は彼らのことを知りたくて検索するも、日本語で書かれたものは案外少なかった。まだブログなんてものなければSNSだって無い時代だ。今と比べれば圧倒的に情報は少なかったは当たり前だけど、当時日本でもすでに人気があったらしい彼らの情報もファンサイトも無いってのもなと思い、その年の11月ぐらいには俺がファンサイトを作ってしまった。
聴き始めて半年も経っていないというのに、今考えると結構無謀なことをしたものだ。でも俺がファンサイトを作ってからしばらくして後発のサイトがいくつか出てきて、全部で4つぐらいのBF5サイトが存在していた。
俺は1stアルバム、”Naked Baby Photos”はもちろんのこと、2ndアルバム以降に出ているシングルCDも買い集めて、発表されているすべての曲を入手する勢いで聴きまくった。
今でも思っていることだけど、90年代はロッキン・オンなんかがやたらと
イギリスのバンドばかりを推してくるから、捻くれ者の俺はまったく聴こうとしなかった。「単なるギターロックじゃねえか」と。そう、今でもその手のは聴く気になれない。
だけどBF5は「ギターレス」でピアノ・トリオってところが最高に好きだった。
ギターなんてなくても十分にロックバンドができると。やっぱりアメリカの方が面白いのがでてくるよなと。コレも今でもそう思っている。そんなイギリスのギターロックへのアンチテーゼと、俺は勝手に思い込んで聴いていた。
1999年、3枚目のアルバムでラスト・アルバムとなった”The Unauthorized Biography of Reinhold Messner”(ラインホルト・メスナーの肖像)がリリース。先行でリリースされた”Army”って曲以外はやたらと地味で、重い感じがした。その年に来日公演があり、国際フォーラムへ見に行ったのが俺にとっては最初で最後だった。
その後、アメリカのフェスでさらに新曲が何曲か披露され、それをもとに新たにアルバムを作るというニュースがあったが、2000年11月に解散した。
俺はBF5の解散とともにサイトの更新をやめ、じきに閉鎖した。ほどなくしてベン・フォールズがソロでアルバムを出して、相変わらず盛り上がっていたけど
俺はあのトリオによる「ベン・フォールズ・ファイヴ」が好きだったので未だにベンのソロは1枚も聴いていない。
このブログを見てもらえば分かると思うけど、俺は「今の」バンドに疎い。だから現在進行形でアルバムを聴くということがあまりなく、BF5だって「ラインホルト・メスナー」だけがリアルタイムだった。しかし今思うとそれだけでも十分だった、ファンサイトを作って更新していく日々は楽しかった。
まだ気軽にネット上で試聴とかできないときに、先行して”Army”のMP3を手に入れた時は興奮した。90年代後半で最も夢中になったのは間違いなくBF5だった。
あの時、こういう良いバンドもいるんだから、今のシーンもちゃんとチェックしなくちゃな、なんて思ったりしたものの、10年以上過ぎた今もそんなことはできていない。
そんなことをふと思った。