ザ・スターリンを聴き始めたころのお話(その2)

STOP JAP

『虫』はとにかく衝撃的だった。速い曲に意味を排した歌詞、一方で重いタイトル曲。こんなすごいロックがあるのかと思ったぐらい。

だけど、友人とかは「天プラ」とか聴いてギャグだと思ったみたいだね。ある意味当たっているんだけど、当時はそんな風に聴かれるのが嫌だった。

あと、「天プラ」に関しては、中学生の頃だったと思うけど、甲斐よしひろがNHK-FMのサウンド・ストリートって番組で流して大爆笑していたのを後になって思い出して、おかげで俺は今でもこの人は好きになれない。考え方が違うんだなって。

1987年、俺は専門学校生となり、新宿まで通っていた。そこで初めて、新宿LOFTというライヴハウスを知り、U.K. Edison というレコード屋を知った。ただ、この頃は『STOP JAP』も『虫』も廃盤で、俺の手元には相変わらず借りてきたレコードから録音したテープだけがあった。

そんな折、まだサブカル誌だった「宝島」で遠藤ミチロウが新たなプロジェクトをやるということを知った。

ひとつはパラノイア・スターという、後期スターリンを彷彿とさせるもので、もうひとつはライヴ活動とビデオのみのリリースを中心としたビデオ・スターリンというもの。

俺がこれを知った時にはすでに両グループはデビュー・ライヴを行っていて、記事を読んだ翌月にはビデオ・スターリンの『デビュー!』がリリースされていた。60分のビデオで2800円!これは当時としては破格の安さだった。あの頃のビデオソフトって1本12000円ぐらい!俺はこれで初めて動く遠藤ミチロウをみることができた。

そして、さらに1ヶ月後には新宿LOFTで初ライヴを体験。ライヴハウス自体初めてだった。どうやって入るのか、どうすればいいのか、何もかもが初で新鮮だったな。ビデオ・スターリンはミチロウ以外のメンバーを一般公募で集めたもので、ドラムとベースは女の子だった。

当時のミチロウは臓物を投げたりしなかった。その代わり、客からの唾がやたらと飛んでた、あの頃は。

それから俺は何度かライヴを見に行った。8月ぐらいの新宿LOFT 3 days とか。3日通し券を店頭で買ったら、整理番号が全部1番だったとか、西武新宿駅でミチロウに出くわして声をかけて次のライヴのことを聞いたりとか。いつだったかのライヴではゲストとしてザ・スターリン時代のベーシスト、杉山晋太郎のバンド、泥の河を見ることができたりとか。

一方でザ・スターリンのレコードを手に入れたくて、当時西新宿にあったウッドストックという中古レコード屋で中古盤を買った。ぼったくりな店で、定価以上のプレミアをつけていたよな。

上の写真の『STOP JAP』もそのうちのひとつで、歌詞カードは無かったし、おまけのソノシート(「肉」がはいっているやつ)もなかった。だけど、それでも入手できたのは嬉しかったんだよね。『虫』も『Fish Inn』も入手した。そしたらその年の秋ぐらいに再発しやがったけど。

だけど俺のビデオ・スターリンのライヴは、1988年1月の中野文化センターというところが最後になった。そう、ミチロウの『飢餓々々帰郷』のDVDに2曲ほどライヴが入っているけど、そのライヴのこと。ソノシートを配った日だったね(「ウルトラ・SEX・マン」と「24時間愛のファシズム」)。

ビデオ・スターリンとしての新曲もたくさんやっていたんだけど、2本目に出したビデオと、それらの曲の言葉遊び的な歌詞がだんだん俺にはダメになってきてしまって、まあ、飽きてきてしまったんだ。

でも、ライヴハウスという概念を教えてもらったり、インディーズというものを知ったり、ザ・スターリンを通じていろいろ知ることができて、実に刺激的な時期だったな。その割には他のバンドとか全然聴いていないんだけどさ。

あ、まだパラノイア・スターと、その後のこともあるので、その3に続きます。

コメント

  1. vtwoen より:

    自分のミチロウとの出会いは、中学生の時のオデッセイ3部作でした。そして、スターリンに逆行!!宝島で情報収集、『デビュー!』も買ったし、Fish Innも買った・・貯めた小遣いをすべてレコードにつぎ込んでましたね。。。。一番初めに買ったスターリンのアルバムは、絶賛解散中でしたwww

  2. hiroumi より:

    vtwoen さん
    俺よりも早いですね!
    それでもすでに解散後だったのか・・・。
    リアルタイムで体験したかったですねぇ、きっと同じ思いでしょうねw