デヴィッド・ボウイの80年代から90年代にかけて思うこと

David Bowie CD
左:Let’s Dance
中:Black Tie White Noise
右:Earthling

10年ぶりのニュー・アルバムがリリースされるデヴィッド・ボウイ。Twitterやニュースのコメントなどを見ても喜びの声が非常に多い。このニュース以来、俺も毎日のようにボウイのアルバムを聴いているのだが、昨日は1993年の『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』を久々に聴いた。

このアルバムが出た当時は「ボウイ復活!?」なんて思ったものの、まだ確信には至ってなかったと記憶している。楽曲は良いんだけど、今回はたまたま良かっただけでまだ信用はできないなと。80年代から90年代にかけてのボウイは迷走していたし、「ボウイはもう終わった」なんて言われたりしてたからね。

80年代の『レッツ・ダンス』はそれまでのカルト的な存在から、彼を一気にスターの座へ持ち上げてくれたアルバムであることは間違いない。「戦場のメリークリスマス」にも出るわでかなり一般にも浸透していったと思う。でも次のアルバム『トゥナイト』はまるで前作の焼き直しみたな感じだったし、さらにその次の『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』もしかりで、もっと言うなら映画「ラビリンズ」なんかにも出てたりして、まだそれほどボウイを知らなかった俺でさえ、この人はなんか変な方へ向かっているようなって思ってたからね。

80年代終わりにはティン・マシーンなんてバンドを組んだり、過去のアルバムのCD再発が始まった1990年には来日公演もあったんだけど、そのツアーをもって過去の曲は一切やらないとか言い出したり、とにかく迷走していたなと思ったのがこの時期のボウイだった。80年代からのこれら一連の流れでボウイを見限った人も結構いたんじゃないかなぁ。俺はCD再発で70年代の作品を徐々に聴き始めていたころで、来日公演にも行った。

と、アルバムを聴きながらそんなことを思い出していたんだけど、ボウイは『レッツ・ダンス』でポップスターになったはいいけど、それをどうコントロールしたらいいのかが分からなかったんだろうね。それがそのまま作品にも出てしまった・・・、そう思いたいね。

俺は80年代からボウイを見てきたからそれほどでもなかったけど、70年代から追ってきた人たちにしてみれば歯がゆい思いをしてたんじゃないかな、あの時代は。それはミュージシャンも同様で、例えばザ・キュアーのロバート・スミスは「ボウイなんて『ロウ』を作った後に車に轢かれて死んじまえばよかった」と言ってたし、ダイナソーJrのJ・マスシスからは「ボウイが俺たちをプロデュースしたいって?プロデュースが必要なのはあんたの方だ、なんなら俺がしてやろうか?」なんて言われてた。どちらも1990年ごろの発言だったかな。きっとリスペクトしていただけに余計見ていられなかったんだろうなと思う。

『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』はナイル・ロジャースのプロデュースで、だけど『レッツ・ダンス』の時のようなアメリカナイズされた音ではない。ヨーロッパ的な雰囲気があって、ボウイ自身がやるべき音楽を再確認できたようだ。ここからのボウイは明らかに吹っ切れた感じがしたね。

俺がボウイの90年代を象徴する作品だと思っているのが『アースリング』。当時の流行であったドラムンベースをロックに取り入れた挑戦的なアルバム。その創作意欲はこの後も続いて今に至っているって訳だね。(と言っても今のところは2003年が最後だけど)

新曲”Whrer Are We Now?”のクオリティが良すぎてアルバムも期待してしまう。前回も書いたけど、もう引退してしまったと思っていただけに、新しい曲が聴けるというのが本当に嬉しい。少しぐらい駄作でも許すよ、もう俺たちは慣れているからさw