故人またはもはや活動していないミュージシャンのアルバムが再発されたり、発掘音源がリリースされたりする昨今ですが、その手の記事の見出しに違和感を覚えることがあるのですよ。
例えばこれ!
「ピンク・フロイド、11/3より3日間にわたって金沢城のライトアップイベントの開催が決定」って、おいおいピンク・フロイドがやるわけじゃねえし!って思ったのは俺だけですかね。
この見出しだと、あたかもピンク・フロイドが能動的にライトアップイベントをやるみたいに読み取れるのですよ。でも記事を読むと楽曲が使われるだけで、レコード会社の協力があってこその内容じゃないですか。そして承知の事実ですがピンク・フロイドは活動していないし。
もっと酷いのはこれ。
「マイケル・ジャクソン、『スクリーム』と題した新たなアルバムを告知」って、いやいやマイケルとっくにこの世にいないし。記事もいきなりこんな風に始まるのがもうモヤモヤしてしょうがない。
マイケル・ジャクソンが『スクリーム』と題した新たなアルバムのリリースを告知していることが明らかになっている。
マイケルがあの世から発表したんですか?記事の続きを読めばマイケルのTwitterアカウントでの発表と分かるし、さらには「マイケル・ジャクソン財団の共同遺言執行者であるジョン・ブランカによれば・・・」と書いてあるんだけどさ。
NME Japan の記事はこういうのが多いのですよ。「ピンク・フロイドの楽曲を使用したライトアップ」とか、「マイケル・ジャクソンのTwitterアカウントがアルバムを」と書けばいいのに、どうして最初に名前を持ってきて「、」を打つんだろうね。「、」を使うから主語がミュージシャンに思えてしまうんだよ。
NMEの方針としては「ピンク・フロイド」とか「マイケル・ジャクソン」って名前を最初に持ってくることで人の目を引くやり方で、記事の主題はあくまでもミュージシャン名なんだろうね、ライトアップだの新しいアルバムなんて情報は二の次でどうでもいい。そのぐらいのスタンスとみた。
だけどやっぱり見るたびに違和感あるし、つっこまずにはいられないんだよね。しかもピンク・フロイドもマイケル・ジャクソンももはや存在しないという前提をこちら側がもっていないと読む側は混乱するわけですよ。きっと中にはピンク・フロイドってバンドがいまも活動中のように受け止める人もいるだろうし。
でも最初にミュージシャンの名前を持ってくるのは効果的な書き方だなって思うけどね。俺もこの記事のタイトルそうしたほうが良かったかな。「ピンク・フロイド、まるで現役で活動しているかのような見出しの記事に違和感」って。
いや無理だな、ピンク・フロイドが違和感を表明しているみたいじゃん。なんか騙しているみたいだよねw