イギリスのFar Out Magazine(ファーアウト・マガジン)というカルチャー全般を掘り下げているサイトに「デヴィッド・ボウイが嫌った5人のミュージシャン(Five musicians that David Bowie hated)」という記事が載っていた。英語だとニュアンスが伝わりにくいから、Google Notebooklmを使って要約してみた。
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デヴィッド・ボウイの広範な音楽的嗜好とは裏腹に、彼が特定のアーティストに対して個人的または芸術的な理由で不満を抱いていたという記事でここでは5人のミュージシャンを挙げている。個々のミュージシャンの解説は抜きにして、ボウイが嫌っていたという理由を載せておく。
ゲイリー・ニューマン
ボウイはゲイリー・ニューマンが自分のスタイルを模倣していると認識し、感情を害していたという。1980年には、ボウイがニューマンを『ケニー・エヴェレット・クリスマス・ショー』から降板させたという出来事もあったようだ。さらにはボウイのアルバム『スケアリー・モンスターズ』に収録された “Teenage Wildlife”ではニューマンを批判した歌詞が歌われている。
「ニューマンがやったことは見事だったが、繰り返しであり、一度聞けば同じ情報が何度も流れてくる」と言ったとか。
これに対してゲイリー・ニューマンは、当時のボウイが「より傷つきやすく、被害妄想的」で、自身の人気が上昇していたことからボウイの側に「嫉妬の要素」があったと考えていたそうだ。
アクセル・ローズ(ガンズ・アンド・ローゼズ)
こちらは音楽的な理由ではなく、ちょっとしたいざこざがあったようだ。ガンズのギタリスト、スラッシュの自伝によると、1989年のある夜、ボウイとローズはエヴァリー・ブラザーズの娘で当時ローズのガールフレンドだったエリン・エヴァリーを巡って喧嘩をしたそうだ。
ガンズが “It’s So Easy” のPVを撮影していた際に、ボウイが寄ってエリンに対してちょっかいをだしたことにローズが怒り、「殺してやる、ブリキ男!」と叫んだと報道されたそうだ。
エルトン・ジョン
ボウイは1976年に『ローリング・ストーン』誌でエルトン・ジョンのことを「ロック界のリベラーチェ、見せかけのクイーン」と厳しく評したそうだ。これに傷ついたエルトンは、最初は仲が良かったのに疎遠になったと語っていた。
さらにボウイは「私は新しいタイプの気取り屋の学校を創設した責任があると思っている――彼らは誰だか分かっているだろう。そうだろ、エルトン?」と痛烈な皮肉を残している。
※解説
「ロック界のリベラーチェ」:リベラーチェとは、きらびやかな衣装、豪華な装飾品、そして過剰ともいえる派手なステージ演出で知られたアメリカの有名なピアニスト。ロック界のリベラーチェとはエルトンを形容した言葉で、音楽的な本質よりもショーマンシップや外見の派手さに偏っていると批判している。「本物のロックではなく、見世物に近い」というニュアンスが含まれいるようだ。
「見せかけのクイーン」:「クイーン」は派手な同性愛者の男性を指すスラングだが、問題は「見せかけの(token)」という部分。”Token”には「名ばかりの」「形式的な」といった意味があり、エルトン・ジョンがロック界における「派手な同性愛者」という役割をステレオタイプ的に演じているだけで、その自己表現に深みや本質がないと言っている。
「私は新しいタイプの気取り屋の学校を創設した責任があると思っている」:これはボウイの自負心の表れで、グラム・ロックや中性的なパフォーマンス、そして演劇的なパフォーマンスを指していて、「気取り屋」というのは後に続く者たちを軽蔑的に言っている。後半の「創設した責任」とはボウイが先駆者だということを宣言しているということになる。
「彼らは誰だか分かっているだろう。そうだろ、エルトン?」:自分が創設者で後は模倣しているだけ、その代表格が、まさにお前のことだ、とエルトン・ジョンに直接的に言っているということ。
ポール・マッカートニー
ボウイは1996年に「ビートルズのようなバンドはかつて大きな影響力を持っていたが、現在ではその影響はほとんど感じられない」と発言。ビートルズについては尊敬はしていて、ジョン・レノンを「最大の指導者」と呼んでいたが、「ポールの作品はあまり好きではない」と言っていたそうだ。
ザ・ジーザス・アンド・メリー・チェイン
ボウイは1987年の『ミュージシャン』誌のインタビューで、このバンドを「ひどい」、「ルーなしのヴェルヴェッツのよう」と酷評。バンドのシンガーであるジム・リードは幼少期からボウイを崇拝しており、ボウイの厳しい言葉はショックだったのではないかと。
以上が、Google Notebooklmに要約してもらった内容だけど、これを読んでみてボウイが嫌っているというよりは「批判している」と言った方が合っているような気がする。特にポール・マッカートニーやジザメリの場合はどこにも「嫌い」要素がないと思うのだが。アクセル・ローズに至ってはどちらかというとアクセルに嫌われたんじゃないのか!?
恐らく「ボウイが嫌った」と見出しにした方が注目されると思ったんだろうなライターは。それは俺がこうして取り上げるぐらいだから見出しをそのようにしたのは正解かもしれないね。
エルトン・ジョンのところにだけ解説を加えたのは、単純にどういうことなんだろう?と思ったからで、かなり辛辣なことを言ってるなと思った。エルトン・ジョン自身はそのように言われて相当ショックをうけたようだけど、後に許したものの和解には至らなかったと書かれていた。
まあ、記事としては面白いなと思った。またこの手のがあったら取り上げてみたいね。