「聴了」って言い方、変じゃね?

読了

SNSで「〇〇聴了、ああだこうでした」みたいな感想を見かけることがある。俺はその度になんだかモヤモヤしてしまう。「聴了」って何さ?ってことなんですよ。

「読了」という言葉がありますが、これは本を最後まで読み終えましたみたいな意味なんですよね。

「聴了」って言い草は恐らく、いや、間違いなく「読了」を真似て言ってるんだろうけど、正しい日本語じゃないようで「ちょうりょう」では変換できません(iPhoneだといちど無理矢理変換すると覚えてくれるけど)。

別に「聴きました」とか「聴き終りました」でいいじゃん。何でわざわざ「聴了」だなんて言うの?俺なんかいまこのブログをPCで書いているけど何度「ちょうりょう」って打っても変換できないのに。IMEに覚えさせるつもりもないんだけどさ、正しい言葉じゃないし。

というよりもね、「聴了」って言葉を見るたびに思うのですよ。

『ああ、あなたはもうそのアルバム聴かないのね』と。

言ってる本人はそんなつもりはないと思いますよ。でもね「読了」が上の絵のように「すっかり読み終える」とあるように、「聴了」も「すっかり聴き終える」と受け取ってしまうのですよ。本は一度読んだら「さてもう1回」ってすぐに読み返したりすることってあまり無いと思うのだけど、CDは良いと思ったら繰り返し繰り返し何度も聴くじゃないですか。いや、本だって繰り返し読む人もいるだろうけど、そのスパンが違うんじゃないかと思うのです。聴くと読むとじゃ。

結局何が言いたいのかというと、「聴了」なんて言葉を使う人はTwitterやFacebookとかで「聴きました、感想はこうでした」って言いたいだけのために聴いているのかなということなんですよ。

イメージとしては1度聴いたらしばらくは聴かないのが「聴了」ってことなのかなと思うのですよ。言葉の取り方の問題なんだけどね。俺は好かんってことだよ。

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