前回の「私がJ-Popについて書かない理由」で、
俺の30年ぐらいの音楽史に日本のロックやJ-Popが入り込むには、
その音楽の質や俺の気持ち的なものまで含め、もはや遅すぎたのです。
と書いたけど、じゃあついでに俺の音楽遍歴でも紹介しようかなと思い、
誰かに聞かれたわけでもないけど、時系列で書いてみます。
1968年~1974年(0歳~6歳)
当たり前だが、よく覚えていない。
両親、特に父親が音楽好きで、当時の歌謡曲(演歌中心)やラジオから流れる
タンゴやイージーリスニングのようなものまで聴くような人だった。
ただしロックとかポップ・ミュージックには興味が無かったようだ。
この時期で覚えているのは車に乗ったときにAMラジオでかかる
演奏だけの音楽が流れている風景だろうか。
1975年(7歳)
我が家にソニーのステレオコンポーネント(死語?)が来る。
詳しくは知らないが、父親が知人から譲ってもらったようだ。
レコードプレーヤーもあり、子供向けに最初に買ったレコードが
「およげたいやきくん」か、仮面ライダーなんかの主題歌だったような記憶がある。
でも俺はあまり興味がなかったようで、あまり好んでレコードをかけてもらった覚えはない。
1976年(8歳)
空前のピンク・レディーブームで、我が家にもLPレコードがあった。
だけど俺はテレビで歌番組を見るのは好きだったが、
レコードをかけてもらってまで聴くような感じではなかった。
この時期の出来事として、父親のおつかいとして本屋へFM雑誌を買いに行った。
そのFM雑誌とは「FM-fan」。
そしてこの時に「タイマー録音」のセットのしかたを教えてもらい、
父親がFM-fanの番組表にチェックをつけた番組を、
俺がタイマー録音のセットをして録音しておくという行為が確立。
ちなみに、この当時使っていたカセットテープは、
今は亡き「忠実屋」というスーパー(ダイエーとかマルエツみたいな規模の店)の
オリジナルカセットテープ。TDKとかのメーカーものよりも安かったから。
1977年(9歳)
父親に続いて、母親もFMのエアチェック(完全死語)を俺に頼むようになる。
その中である日「この人の歌もいいよ」と言って録音したのが「さだまさし」。
まだ「関白宣言」よりも前の話で、母親の言うとおり、俺も気に入ってしまった。
その影響で、初めて買ってもらったレコード(というか、自分で買ったレコード)が
さだの「もうひとつの雨やどり」だったという事実w。
そして自分でもFM-fanで番組をチェックして、
西城秀樹や山口百恵、石野眞子とか沢田研二の特集を録音して聴いていた。
これらの特集はNHK-FMで平日のお昼に放送していた「ひるの歌謡曲」という番組でゲット。
他にも日曜日の夕方に放送していたベストテンっぽい番組から欲しい曲を録音していた。
1曲だけ録音するときは、ステレオのカセットデッキのところで待ち構え、
DJの曲紹介後に録音のポーズボタンを解除するというようなことをしていた。
今のFMみたいに、曲としゃべりをかぶせるようなことがなかったので、
好きな曲がどんどん集められた。
そして、俺のカセットテープに、初めての洋楽曲が入る。
アバの「ダンシング・クィーン」。
でもその経緯はまったく覚えていない。
1978年(10歳)
夜、AMラジオを聴きながら寝るという習慣がつく。
当時はTBSラジオの「生島ヒロシの夜はともだち」という番組を聴いていて、
その中のリクエストコーナーで、クィーンの「バイシクル・レース」を聴く。
今までに聴いたことがない新鮮さを感じた。
学校では唯一、同じ番組を聴いていた友達と「クィーンいいよね」と話していた。
他は相変わらず歌謡曲を聴いていた。
1979年(11歳)
10年間住んだ八王子から、埼玉の入間市というところへ引っ越す。
この年のことはあまり覚えていない。
環境が変わったことが個人的にはショックだったのかもしれない。
1980年(12歳)
日曜日の朝に「ポップス・ベストテン」みたいな番組をラジオでやっていて、
「外人」の曲をこの番組でなんとなく聴いていた。
だけどまだ歌謡曲とか、この頃流行ったニュー・ミュージック(死語)とかを相変わらず録音していた。
オフコースがこの頃は好きだったかもしれない。YMOとかジューシィ・フルーツとかも。
ジョン・レノンが暗殺され、ニュースでファンが大泣きしている映像を見たが、
「何でみんなあんなに泣いてるんだろう?」と不思議に思った。
そう、ジョン・レノンが何者で、ビートルズってのもよく分かってなかったと言うわけ。
(過去に書いた「今年もこの日が来た」にも書いています)
以上、これが俺が生まれてから小学生時代の嗜好です。
普通に歌番組を見ている小学生というのは多かったけど、
FM番組から曲を集めるなんてことまではさすがに皆しなかったと思う。
俺はたまたまそういう環境にいたから、こういうことが可能だったのでしょう。
曲を集める方法としては「テレビやラジオで聴く」→「後日FM番組で録音する」
というパターンが基本的なところだったようです。
つづく。