ウェザー・リポートの80年代のアルバムを聴く

ウェザー・リポートのアルバム

タイトルにはちょっと語弊があるが、俺はいままでウェザー・リポート(以下、WRと記載する)はデビュー・アルバムからジャコ・パストリアスが在籍した時代までのアルバムしか聴いておらず、リズム隊がオマー・ハキムとヴィクター・ベイリーになってからのアルバムは長らく聴いてこなかった。しかし11月に出た“The Legendary Live Tapes: 1978-1981”を聴いて以来、WR熱が久々に出てあらゆるアルバムを聴きまくっている。それで、ラスト4枚のアルバムを聴かないのもよろしくないと思い、年末に購入して聴いた。

Procession(1983年:写真左上)
前作”Weather Report”のリリースが大幅に遅れたことによって1981年11月のツアーをキャンセルしたWRは、翌年の春に代替となるツアーを予定していた。しかしジャコ・パストリアス、ピーター・アースキン、そしてボビー・トーマス・ジュニアが脱退してしまったために、代わりとなるメンバーを探す必要があった。そこでジョー・ザヴィヌルは知人のミュージシャンからオマー・ハキムというドラマーを紹介してもらい、お互いをまだよく知らないままWRのメンバーとして加入した。そしてベーシストとパーカッショニストもハキムの人脈をもとにヴィクター・ベイリーとホセ・ロッシーを迎え入れたという。それでツアーを無事乗り切り、制作したのがこの”Procession”というアルバム。リズム隊が代わったとはいえ、それまでのWRを踏襲しているように感じがして、とても安心して聴ける1枚だと思う。因みに、2002年に出た”Live and Unreleased”にはこのアルバムから3曲が収録されていて、ライヴで聴いた時は尺が長くていまいちピンと来なかったんだけど、こっちのアルバムを聴いてから再度聴きなおしたらとてもしっくりきた。

Domino Theory(1984年:写真右上)
ジョー・ザヴィヌルが初めてドラム・マシンとサンプラーを用いたのが1984年発表のこのアルバム。驚くのは1曲目の”Can It Be Done”という曲で、カール・アンダーソンによるヴォーカルをメインとしたバラード。これまでにもマンハッタン・トランスファーやモーリス・ホワイトがヴォーカルとして参加していたが、それらはあくまでも曲を装飾するうえでの一部という位置づけに捉えることができたが、この曲は完全に「ヴォーカル曲」だから、それまでのWRとはどこか違う印象を受ける。しかし2曲目”D Flat Waltz”からはいつものWRが聴ける。この曲と次の曲は新宿厚生年金会館でのライヴ音源がもととなっているようだけど、客の歓声などは入っていない。タイトル曲はドラム・マシンがメインとなって、キーボード、ベース、ドラムが複雑に絡んでいくようなタイプで、WRらしさをいちばん感じてしまう。

Sportin’ Life(1985年:写真左下)
さて、何かと物議の多いのがこのアルバムなんじゃないかと思う。カール・アンダーソンやボビー・マクファーリンなど4名のヴォーカリストが参加しているが、ここでは効果的なボイス参加という印象を受ける。そしてパーカッションがホセ・ロッシーからミノ・シネルに代わり、そのミノがヴォーカルを取る曲も収録されている。これらのヴォーカリスト参加の曲がそれまでのWRとはガラッと雰囲気を変えているのが大きな特徴だ。曲調もカリブ感覚のものがあったりして、ワールド・ミュージックの要素を受ける。80年代のジャズはアコースティック路線が主流となっていたので、このWRの音楽はあまり受け入れられなかったようだ。そういえばジャコ・パストリアスも”Holiday For Pans”を82年ごろに作ったもののレコード会社からは拒否されていたから、言うなればこの”Sportin’ Life”も「早すぎる」作品だったんじゃないだろうか。俺も80年代のポップ・ミュージックに徐々に取り入れられてきたワールド・ミュージックの要素はダメだったし、世間的にもそういう向きが多かったのではと推測している。ウェイン・ショーター作の2曲が従来のWRに近いノリなんじゃないだろうか。俺はこのアルバム、かなり好きです。

This Is This(1986年:写真右下)
前作”Sportin’ Life”でコロンビアとの契約が切れたと思っていたら、まだ1枚分契約が残ってた。しかしウェイン・ショーターはソロ活動を始めちゃって、オマー・ハキムもスティングのバンドに行っちゃった。そんな状況の中作られたWR最後のアルバム。前作もそうだったけど、このアルバムはもはやWRというよりはジョー・ザヴィヌルのアルバムって感じがする。ほとんどがキーボード(シンセサイザー)メインで、ウェイン・ショーターのサックスは1曲しか聴くことができない。その1曲はヴィクター・ベイリーの”Consequently”という曲で、オマー・ハキムもこの曲だけ参加。他はピーター・アースキンが叩いている。このアルバムはかつての”Mr.Gone”を(86年当時の)今風にした作品という印象を受ける。同じフレーズをひたすら繰り返すミニマム的なところなんかはジョー・ザヴィヌルが大好きな手法なんじゃないかと思う。タイトル曲にはカルロス・サンタナがギターで参加していて、この編成でWRが続いていたら面白かったかもしれないなんて思う。このアルバムもWRらしくないという評価をずっと聞いていたので長らく手が出なかったが、「WRらしくない」なんて言葉に翻弄されたことが恨めしく思うぐらい、このアルバムは傑作だと思う。”Update”なんて曲はザヴィヌルのアドリブ弾きまくりかと思いきや、ちゃんと譜面に書かれたものを弾いているというじゃないか。前作とこれを聴くと、ジョー・ザヴィヌルすげえと思うこと間違いない。

というわけで、後期WRのアルバムを4枚まとめて聴いて思ったことは、なぜもっと早く聴かなかったのかということだった。俺はもともとジャコ・パストリアスからWRに入ったので、やはりジャコのいないWRはなかなか手が出なかった。ただ、例えば”Mr. Gone”とか”Night Passage”を聴くと、ジョー・ザヴィヌルのアレンジ力とか変態っぽさってところも気になって、後期WRではそれがもっと分かりやすい形で聴くことができることがわかった。そのおかげで、ジョー・ザヴィヌルのWR以降の活動も気になってしまったので、今後徐々に聴いていこうと思っている。

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